『LA LA LAND』
素晴らしい映画だった。
音楽ってこんなにも人の感情を豊かにするのかと、
それに合わせるタップダンスやミュージカルってこんなにも心を温かくも揺れ動かすのかと、
ラストシーンがあまりにも切ない。
たった1分ほどの『演じる・演じられる』時間。
その時間は儚く、しかし存在している時間。
ミュージカルはすごい。
言葉は流れるように軽やかで、静かにすっと心を打ち続ける。
人に感じる心があるのは、なぜか。なんてことすら感じてしまった映画だった。
あまりにも面白く、思わずサントラをダウンロードしてしまった映画でした。
”2016”という年
成長した部分はあった。
頑張った年でもあった。
「激動の2016年」
このフレーズでこの年の振り返りをしようと思っていた時、
去年の自分が書いたブログを読んでみた。
そこには、溢れる想いがあった。
「2016年をやりきったと言える年にする」「熱狂宣言」
この言葉に触れた時、
「ああそうか。俺は2016年、負けたんだ」
って思った。気付いた。
そう。頑張ったつもりでも、届かなかった。
だから無くなっていく事業があった。
このことを直視せずに、2016年を振り返ることは出来ない。
追われていた自分がいた。
もどかしかった自分もいた。
それでも今まで涙が出ない。
何故だろう。悔しさの涙は流さないと決めているからなのかな。
大学時代の思い出は、本気でやっていた自分の姿は鮮明に蘇るのに、今年自分が本気で全てをぶつけてやっていたという姿が、やっていたはずなんだけど、蘇らない。
自分、やりきったのかな?
そう問うてしまう今の自分に泣けてくる。
出せる全力を出してきたはずなんだけど、何かが足りない気がしてならない。
ガイアの夜明け、MD、サブカテゴリーの発注関係、倉庫の管理。
人材募集に、新店舗関係、様々な手続き等々の業務。
リブランディングにかかる業務や、どういう風に改造1店舗目に取り組むか、人の問題。スマレジ反映関係や、体制の設計。
回らない中で、ひたすらマルチタスクにとりんでいた。ある種何でも屋状態。
その中で、人と一緒に働く。組織を設計していく。
どう情報の土台を設計して、落としていくのか。
そして、そもそもどんな組織を作っていくべきなのか?(何を求心力にするか、どんな人がgoodかなど)
今となっては当たり前の、見逃しそう・忘れそうな細部まで共有したりしていくことだったり、どういう風に人とコミュニケーションをとりながら働いていくか。
そういうことに腐心した一年だった。
つまり、準備・組織設計・組織導引。
ファシリテーション能力やリーダーとしての心構えや姿勢・あるべき姿に、仕組みをどの程度・どうやって作っていくかetc....
今までの自分にはない領域での、ない能力の開発がテーマとなった。
どんなことにも相当な準備が必要で、こっちが答えを持っていないといけないことだったり。
励まされる側から励ます側への移行。
仲間はリソースではなく、力を貸してくれる頼りになる個人であること。
また、その中でその人の未来を一緒に考え、本当は背負い、その思いから発する時には厳しいまでの愛情の必要性だったり。
仕組み化の必要性や、どう相手に、どんな枠組みで考えてもらうかの設計の大切さが身にしみたり。どんどん仕組みをしていくことだったりね。KPIとかね。
人のキャパの冷静な見極め。いいことばかり言ってもしょうがないことだったり。
胸を張って、堂々といる。いれるように日々を頑張る。という姿勢だったり。
自分の器と自己改革の速さのことだったり。
チームで、一つ一つをこだわり抜いて行うことの難しさだったり。(嫌なことも言わなければいけなかったり、何回も言わなければいけなかったり。そういう人に対する厳しさみたいなところ。他事業部の先輩にあって自分にはなかった厳しさ)
こんな、組織という大きな生き物を、どうやって産み育てていくのか。というそれこそ人対人の心からの格闘だった。
組織をどう盛り上げていくかも難しかった。
良いことも悪いことも、一つが大きな変化を生んでいくということ。
だからこそ、本当に細かく一つ一つ、少なくとも気付いた時にこだわり抜き続けることの大切さ、しんどさも学んだ。
即行動と即落とし込みの速さ、共通言語。ワンフレーズコミュニケーション。
相手の思考を整理し、前に導く。
PDCAをしっかり回していくという大切さ。
帰属意識。
そして、感謝。
感謝こそすれ、すべて当たり前と思わないこと。
人が病み、辞めていったりすることもあった。
人に寄り添っていく大切さも痛感した。
信頼と感謝と愛情と、キャパの見極めと。徹底的な献身と。
そして、人間としてこの会社の一員としてかっこよさと素敵さという判断軸。
ある種国岡商店のような。
そんなたくさんのこと痛感し、学んだ一年となった。
そんな一年の中での「足りない何か?」
今思う。
仮にこれが社長の若い時であったら、、、と。
決定的に一つ違うところがある気がする。
『結果を残す』
ということだ。
泥臭くとも、失敗はしていようとも、大事な結果部分は残すのではないか?
そう感じずにはいられない。
要所を押さえるというような感覚。
失敗はするものだと思う。けれどそれが『決定的な失敗=負け』であっていいことはない。いろいろな失敗をしながらも結果を残す。
ここが自分には足りない気がする。
いろいろやった方がいい中で、その中でも外してはいけないこと。
これを見極め、徹底していく姿勢。
2017年、僕は新しい一歩をまた踏み出す環境を与えてもらえそうだ。
恵まれている。
だからこそ、負けを許したくない。
いろいろな失敗の上で、けれどもしっかりと結果を残す。
組織運営で学んだことがある。
そして今度こそ、嬉し涙を流したい。
終わりへの旅
終わりかけの時に、わずかな希望の光がかすかに燃える。
それに縋りたくなってしまう気持ちがある。揺れる心がここにある。
それほどの気持ちを込めてやってきたからだ。
でも現実を視る。
どんなに何を感じ、思っても、
揺らいではいけない。
これ以上続けることは「エゴ」で苦しみをみんなに伴うものからだ。
綺麗に終わらせに行く。
最後の花を、盛大に咲かせる。
最後には涙が流れるかもしれない。
けれど、その涙は、前へ向くものであってほしい。
父の日に贈り物を。
今日は父の日。
振り返れば、今年は母の日・父の日と何も親を喜ばせるようなことが全くできていない薄情息子の日々を過ごしている。
日々の忙しさに、少し疲れが溜まり、なんだか自分のことで一杯一杯になっている自分がいた。
今日、「父の日」が後数時間で終わるという時に、
久しぶりに父親と電話をした。
会えば会ったで、電話すれば電話をすればで、いつも何か「モヤっと」感がしていた父との電話が、今日は何だか違くて、心が少し温かくなった。
「支えられている」
いつも、肝心な時に自分を支えてくれていた存在が家族であることを、
大学時代も、高校時代も、そして生まれてからも、
自分を支えてくれた存在が家族であることを、改めて感じた。
Dear father ,and family
いいタイミングでいいギフトが見つかり、手紙を添えて送り状を書いている時。
また少し温かい気持ちになった。
「大切な人に、何かを送る。」
自分発信の行為なのだけれども、自分自身が温かくなった。
到着するのは父の日をゆうに過ぎて2日後。
まあでもいいか、と。
気持ちが伝わってくれたらそれでいいなってそう思っています。
少し素敵な日曜日。
まだ送れていない方は、今からでも送ってみてはいかがでしょうか。
信念とキーワード
『底知れない情熱』と『謙虚さ』
『リアルの半歩先』と『希望を創る仕事』
『分かったつもりにならない』と『相手を知る』
『世の中が、その反響が、世界を変えていく』