支えとなる言葉を。
悶々と感じたことがあった。
結局自分は、いろいろな壁に阻まれ微力であると。
今の相手との関係を変えたい。
頼りっぱなしというか、相手が動かなければ動けない自分になってしまっている。
と、そう悶々としていた。
劣等感なのか、なんなのか。
悶々とした感情が渦巻いていた。
ただしその中で、上のことは相手との力関係性を考える上では、冷静に見て行きたい。
今後、自分ある程度主体的に動けるようにしていかないと結局は何も動かせないことになってしまうから。
ただし、そんな想いを抱えた中で読んだ内定者のブログ。
改めてなんだかそんなちっぽけなことはどうでもいいと思わされてしまった自分がいた。
”私利勿かりしか”
まだまだ結局自分はここにとらわえてしまっていた気がする。
もっと大きく見たい。
成し遂げたいことがある。
成し遂げなければならないことがある。
もちろん自分には”圧倒的な努力”が必要。
みんなよりも結構頑張ってるね、とかではなく圧倒的な努力が。
しかし一方で、自分が自分がと囚われすぎず、エゴにもならず、
みんなに手助けしてもらいながら、大きく前へ進み出したい。
私利勿かりしか・動機善かつ大なりか。
自分というものに囚われずに、大きく動かす。
以上。
大きなことをしたい。
先日に引き続き、改めて大きなことしたい、物事を大きく変えていけたらと考えている。
そのためには
「私利私欲がなく、真っさらな心で臨まないといけないのではないか。
成し遂げられないのではないか。」と思い始めた。
日々、私利私欲・自らの損得勘定に心を引っ張られてしまうことがある。
なんだかそれに引っ張られてしまってはできないように感じている。
ちまちまとしか動いていかない気がする。
いい意味で一つに集中するために、自分の神経・全エネルギーを一点に集中するためには、無駄なものごとに足を取られていてはいけない気がする、引っ張られてはいけない気がする。
そのためには、無心で、私利なかりしか?の心で、広く・大きく物事を見ていきたい。
青く広い空・大海に比べれば、自分の悩み・エゴは取るに足らないちっぽけなものであることをいつも覚えておきたい。
そしてその上で、物事を本当の意味で推し進めていくためには、そう言うものに囚われない心・動かされない、真っさらな心が必要なのかもしれないと感じ始めた。
本当の意味での、私利勿かりしか?は、
感情を持つな、と言うことでなくて、自らの小さなエゴ・損得勘定にとらわれるな、という、まだうまくは言えないけれど、そういう生き方のような気がする。
美しいものを美しいと思う心、
悲しいものを悲しいと思える心
素直にものごとを捉える心ではあるのだけれど、
それすらもどこかまずそこだけにとどまるものであって、それ自体に自分の心を引っ張られたり、えぐられたり、どす黒い感情に囚われることなく、距離を少しおいて対象をみる目線で見ていきたい。
それはそれとして、囚われることなく、ただ愚直に、愚直に、やるべきことをしていく。人間として正しい生き方をしていきたい。
物事を大きく変えていく。
三週間という期間があっという間に過ぎる。
日々一生懸命には生きているんだけど、なかなか前へ進んで行かない。
もちろん少しずつ進んではいるのだろうが、
まだ事実上何も成し遂げられてないこの期間。
大きく物事を進め、変えていきたい。
そのためになにをすべきか?
・やるべきことを絞り、一つずつしっかりと進めていくこと。
一方で
・広く、俯瞰する視野を絶えず持つこと。
この二つか。
大きくなスケジュール全体感を持ち、ケツを決めて、大きく・一歩ずつ進めていこう!
覚悟と後悔と責任感
期待と重圧を受けながら、
謙虚にそしてストイックにそして、強さを持ちながらサッカーに没頭していった人たち。
僕は彼らに比べ、没頭し、強く、しかし謙虚にできているのだろうか。
まだまだ貪欲さが足りない。
もっと深く、もっと強くやっていきたいと感じた。
後悔したくない。精一杯自分ができることをただただ愚直に突き進み、ある種のプロテスタンティズムのような精神で”現在”に向き合っていきたい。
『LA LA LAND』
素晴らしい映画だった。
音楽ってこんなにも人の感情を豊かにするのかと、
それに合わせるタップダンスやミュージカルってこんなにも心を温かくも揺れ動かすのかと、
ラストシーンがあまりにも切ない。
たった1分ほどの『演じる・演じられる』時間。
その時間は儚く、しかし存在している時間。
ミュージカルはすごい。
言葉は流れるように軽やかで、静かにすっと心を打ち続ける。
人に感じる心があるのは、なぜか。なんてことすら感じてしまった映画だった。
あまりにも面白く、思わずサントラをダウンロードしてしまった映画でした。
”2016”という年
成長した部分はあった。
頑張った年でもあった。
「激動の2016年」
このフレーズでこの年の振り返りをしようと思っていた時、
去年の自分が書いたブログを読んでみた。
そこには、溢れる想いがあった。
「2016年をやりきったと言える年にする」「熱狂宣言」
この言葉に触れた時、
「ああそうか。俺は2016年、負けたんだ」
って思った。気付いた。
そう。頑張ったつもりでも、届かなかった。
だから無くなっていく事業があった。
このことを直視せずに、2016年を振り返ることは出来ない。
追われていた自分がいた。
もどかしかった自分もいた。
それでも今まで涙が出ない。
何故だろう。悔しさの涙は流さないと決めているからなのかな。
大学時代の思い出は、本気でやっていた自分の姿は鮮明に蘇るのに、今年自分が本気で全てをぶつけてやっていたという姿が、やっていたはずなんだけど、蘇らない。
自分、やりきったのかな?
そう問うてしまう今の自分に泣けてくる。
出せる全力を出してきたはずなんだけど、何かが足りない気がしてならない。
ガイアの夜明け、MD、サブカテゴリーの発注関係、倉庫の管理。
人材募集に、新店舗関係、様々な手続き等々の業務。
リブランディングにかかる業務や、どういう風に改造1店舗目に取り組むか、人の問題。スマレジ反映関係や、体制の設計。
回らない中で、ひたすらマルチタスクにとりんでいた。ある種何でも屋状態。
その中で、人と一緒に働く。組織を設計していく。
どう情報の土台を設計して、落としていくのか。
そして、そもそもどんな組織を作っていくべきなのか?(何を求心力にするか、どんな人がgoodかなど)
今となっては当たり前の、見逃しそう・忘れそうな細部まで共有したりしていくことだったり、どういう風に人とコミュニケーションをとりながら働いていくか。
そういうことに腐心した一年だった。
つまり、準備・組織設計・組織導引。
ファシリテーション能力やリーダーとしての心構えや姿勢・あるべき姿に、仕組みをどの程度・どうやって作っていくかetc....
今までの自分にはない領域での、ない能力の開発がテーマとなった。
どんなことにも相当な準備が必要で、こっちが答えを持っていないといけないことだったり。
励まされる側から励ます側への移行。
仲間はリソースではなく、力を貸してくれる頼りになる個人であること。
また、その中でその人の未来を一緒に考え、本当は背負い、その思いから発する時には厳しいまでの愛情の必要性だったり。
仕組み化の必要性や、どう相手に、どんな枠組みで考えてもらうかの設計の大切さが身にしみたり。どんどん仕組みをしていくことだったりね。KPIとかね。
人のキャパの冷静な見極め。いいことばかり言ってもしょうがないことだったり。
胸を張って、堂々といる。いれるように日々を頑張る。という姿勢だったり。
自分の器と自己改革の速さのことだったり。
チームで、一つ一つをこだわり抜いて行うことの難しさだったり。(嫌なことも言わなければいけなかったり、何回も言わなければいけなかったり。そういう人に対する厳しさみたいなところ。他事業部の先輩にあって自分にはなかった厳しさ)
こんな、組織という大きな生き物を、どうやって産み育てていくのか。というそれこそ人対人の心からの格闘だった。
組織をどう盛り上げていくかも難しかった。
良いことも悪いことも、一つが大きな変化を生んでいくということ。
だからこそ、本当に細かく一つ一つ、少なくとも気付いた時にこだわり抜き続けることの大切さ、しんどさも学んだ。
即行動と即落とし込みの速さ、共通言語。ワンフレーズコミュニケーション。
相手の思考を整理し、前に導く。
PDCAをしっかり回していくという大切さ。
帰属意識。
そして、感謝。
感謝こそすれ、すべて当たり前と思わないこと。
人が病み、辞めていったりすることもあった。
人に寄り添っていく大切さも痛感した。
信頼と感謝と愛情と、キャパの見極めと。徹底的な献身と。
そして、人間としてこの会社の一員としてかっこよさと素敵さという判断軸。
ある種国岡商店のような。
そんなたくさんのこと痛感し、学んだ一年となった。
そんな一年の中での「足りない何か?」
今思う。
仮にこれが社長の若い時であったら、、、と。
決定的に一つ違うところがある気がする。
『結果を残す』
ということだ。
泥臭くとも、失敗はしていようとも、大事な結果部分は残すのではないか?
そう感じずにはいられない。
要所を押さえるというような感覚。
失敗はするものだと思う。けれどそれが『決定的な失敗=負け』であっていいことはない。いろいろな失敗をしながらも結果を残す。
ここが自分には足りない気がする。
いろいろやった方がいい中で、その中でも外してはいけないこと。
これを見極め、徹底していく姿勢。
2017年、僕は新しい一歩をまた踏み出す環境を与えてもらえそうだ。
恵まれている。
だからこそ、負けを許したくない。
いろいろな失敗の上で、けれどもしっかりと結果を残す。
組織運営で学んだことがある。
そして今度こそ、嬉し涙を流したい。