”2016”という年

成長した部分はあった。

頑張った年でもあった。

 

「激動の2016年」

 

このフレーズでこの年の振り返りをしようと思っていた時、

去年の自分が書いたブログを読んでみた。

 

そこには、溢れる想いがあった。

「2016年をやりきったと言える年にする」「熱狂宣言」

 

この言葉に触れた時、

「ああそうか。俺は2016年、負けたんだ」

って思った。気付いた。

 

そう。頑張ったつもりでも、届かなかった。

だから無くなっていく事業があった。

 

このことを直視せずに、2016年を振り返ることは出来ない。

 

追われていた自分がいた。

もどかしかった自分もいた。

 

それでも今まで涙が出ない。

何故だろう。悔しさの涙は流さないと決めているからなのかな。

大学時代の思い出は、本気でやっていた自分の姿は鮮明に蘇るのに、今年自分が本気で全てをぶつけてやっていたという姿が、やっていたはずなんだけど、蘇らない。

 

自分、やりきったのかな?

 

そう問うてしまう今の自分に泣けてくる。

出せる全力を出してきたはずなんだけど、何かが足りない気がしてならない。

 

 

ガイアの夜明け、MD、サブカテゴリーの発注関係、倉庫の管理。

人材募集に、新店舗関係、様々な手続き等々の業務。

ブランディングにかかる業務や、どういう風に改造1店舗目に取り組むか、人の問題。スマレジ反映関係や、体制の設計。

回らない中で、ひたすらマルチタスクにとりんでいた。ある種何でも屋状態。

 

その中で、人と一緒に働く。組織を設計していく。

どう情報の土台を設計して、落としていくのか。

そして、そもそもどんな組織を作っていくべきなのか?(何を求心力にするか、どんな人がgoodかなど)

 

今となっては当たり前の、見逃しそう・忘れそうな細部まで共有したりしていくことだったり、どういう風に人とコミュニケーションをとりながら働いていくか。

 

そういうことに腐心した一年だった。

つまり、準備・組織設計・組織導引。

ファシリテーション能力やリーダーとしての心構えや姿勢・あるべき姿に、仕組みをどの程度・どうやって作っていくかetc....

 

今までの自分にはない領域での、ない能力の開発がテーマとなった。

 

どんなことにも相当な準備が必要で、こっちが答えを持っていないといけないことだったり。

励まされる側から励ます側への移行。

仲間はリソースではなく、力を貸してくれる頼りになる個人であること。

また、その中でその人の未来を一緒に考え、本当は背負い、その思いから発する時には厳しいまでの愛情の必要性だったり。

仕組み化の必要性や、どう相手に、どんな枠組みで考えてもらうかの設計の大切さが身にしみたり。どんどん仕組みをしていくことだったりね。KPIとかね。

人のキャパの冷静な見極め。いいことばかり言ってもしょうがないことだったり。

 

胸を張って、堂々といる。いれるように日々を頑張る。という姿勢だったり。

自分の器と自己改革の速さのことだったり。

 

チームで、一つ一つをこだわり抜いて行うことの難しさだったり。(嫌なことも言わなければいけなかったり、何回も言わなければいけなかったり。そういう人に対する厳しさみたいなところ。他事業部の先輩にあって自分にはなかった厳しさ)

 

 

こんな、組織という大きな生き物を、どうやって産み育てていくのか。というそれこそ人対人の心からの格闘だった。

組織をどう盛り上げていくかも難しかった。 

 

バタフライエフェクト

良いことも悪いことも、一つが大きな変化を生んでいくということ。

だからこそ、本当に細かく一つ一つ、少なくとも気付いた時にこだわり抜き続けることの大切さ、しんどさも学んだ。

 

即行動と即落とし込みの速さ、共通言語。ワンフレーズコミュニケーション。

相手の思考を整理し、前に導く。

 

PDCAをしっかり回していくという大切さ。

帰属意識

 

そして、感謝。

感謝こそすれ、すべて当たり前と思わないこと。

 

 

人が病み、辞めていったりすることもあった。

人に寄り添っていく大切さも痛感した。

信頼と感謝と愛情と、キャパの見極めと。徹底的な献身と。

 

そして、人間としてこの会社の一員としてかっこよさと素敵さという判断軸。

ある種国岡商店のような。

 

 

そんなたくさんのこと痛感し、学んだ一年となった。

そんな一年の中での「足りない何か?」

 

今思う。

仮にこれが社長の若い時であったら、、、と。

決定的に一つ違うところがある気がする。

 

『結果を残す』

ということだ。

 

泥臭くとも、失敗はしていようとも、大事な結果部分は残すのではないか?

そう感じずにはいられない。

 

要所を押さえるというような感覚。

 

失敗はするものだと思う。けれどそれが『決定的な失敗=負け』であっていいことはない。いろいろな失敗をしながらも結果を残す。

 

ここが自分には足りない気がする。

いろいろやった方がいい中で、その中でも外してはいけないこと。

これを見極め、徹底していく姿勢。

 

2017年、僕は新しい一歩をまた踏み出す環境を与えてもらえそうだ。

恵まれている。

だからこそ、負けを許したくない。

いろいろな失敗の上で、けれどもしっかりと結果を残す。

 

組織運営で学んだことがある。

そして今度こそ、嬉し涙を流したい。

終わりへの旅

終わりかけの時に、わずかな希望の光がかすかに燃える。

それに縋りたくなってしまう気持ちがある。揺れる心がここにある。

 

それほどの気持ちを込めてやってきたからだ。

 

でも現実を視る。

 

どんなに何を感じ、思っても、

揺らいではいけない。

 

これ以上続けることは「エゴ」で苦しみをみんなに伴うものからだ。

 

綺麗に終わらせに行く。

最後の花を、盛大に咲かせる。

 

最後には涙が流れるかもしれない。

けれど、その涙は、前へ向くものであってほしい。

父の日に贈り物を。

今日は父の日。

 

振り返れば、今年は母の日・父の日と何も親を喜ばせるようなことが全くできていない薄情息子の日々を過ごしている。

 

日々の忙しさに、少し疲れが溜まり、なんだか自分のことで一杯一杯になっている自分がいた。

 

今日、「父の日」が後数時間で終わるという時に、

久しぶりに父親と電話をした。

 

会えば会ったで、電話すれば電話をすればで、いつも何か「モヤっと」感がしていた父との電話が、今日は何だか違くて、心が少し温かくなった。

 

「支えられている」

 

 

いつも、肝心な時に自分を支えてくれていた存在が家族であることを、

大学時代も、高校時代も、そして生まれてからも、

自分を支えてくれた存在が家族であることを、改めて感じた。

 

Dear father ,and family

 

いいタイミングでいいギフトが見つかり、手紙を添えて送り状を書いている時。

また少し温かい気持ちになった。

 

「大切な人に、何かを送る。」

 

自分発信の行為なのだけれども、自分自身が温かくなった。

 

到着するのは父の日をゆうに過ぎて2日後。

まあでもいいか、と。

気持ちが伝わってくれたらそれでいいなってそう思っています。

 

少し素敵な日曜日。

まだ送れていない方は、今からでも送ってみてはいかがでしょうか。

 

garireo

久しぶりのブログ更新になる。

 

 

怒涛のような毎日が過ぎていく中で、

いろんなことが起きているんだろうけど、

そこについていけていない自分が現在いる。

 

大事なことに心が頭が、身体がついていけてなくて、

そんな自分がもどかしい。

 

現在の自分の感情をうまく言葉にすることができない。

なんだか何かが足りない。

 

頭では分かっている。

 

「あがいて、あがいて、あがき抜く。」

 

その先に見える景色。

 

なんだかまとまらないんだけど、

プロフェッショナルで佐藤直紀さんの言っていた言葉。

 

素敵だなって思う。

 

 

何かをしなければいけない

から

何をしたい・せずにはいられない

そう思いたい。

 

 

Hello,2016

先日、一年を振り返ろうとした際にはうまく振り返ることができかった。

残さないといけない言葉が見当たらず、かっこいい文章も浮かばず。

 

だから、かっこよく2015年を振り返るのはやめようかなと思う。

というかすでに2016年が明けて、なぜか昨年同様体調をさっそく崩した。

年始にかけて少し体調が悪い中無理をしすぎたかな、なんて思うけど、まあこうやって無理くり休まないといけないという状況はそれはそれで何かの運命なのかな、なんて。

そういうものを感じて、「今の自分」「少し今年に向けて」を整理しようと思う。

整理の仕方がバラバラとなるが、感じているままに書こう。

 

思えば昨年は激動の日々だったな〜なんて感じる。

ハーブティー事業部にいた自分が海外での立ち上げ、というのを経験させてもらい帰って来た日々。立ち上げも中途の中で「部下を持つ」ということの難しさを痛感していた。それは日本に帰って来てからも。

1年目の自分がガツガツ仕事をしてどこまでも頑張り続けることを是とし、周りにもそれを求めていた時代、それでよかった時代・それが評価されていた時代から大きく立場が変わり、先輩として・リーダーとしての立場を求められるようになった去年一年間=2年目。

協調性や人を思いやる気持ち・人付き合いが得意だよね、と言われた自分から程遠い自分がいた。

メンバーの悲鳴や内なる声に耳を閉ざし、見ないふりをし自分に求めるのと同じものを求めた日々。

結果が失いたくないものを失い、うまく進まない事業が見え、そして責められもした。

 

駄目なことに向き合ったものの、これが駄目だとわかったがどうすればいいのかがはっきりしない日々だった。

そこから。早一年が過ぎようとしている。

強い、と思っていた思いを胸に新規の事業を模索し、しかしそれが今じゃないと気づいた日。人を中途半端に巻き込んだんじゃないか、と今も少し思っている。感じている。

そこから学ぶ・生かすべきことは何か?

「GNO(義理・人情・恩)」

先日読んだ本にかいてあった日々大事にすべきものだ。

まさにこれなんだと思った。僕が今何を想い生き、何を考えているのか?どう生きていくのか?

そこに携わってくれた人たちへの恩を、義理を、人情を、しっかり返していくべきだと今になって思う。それが当初の自分の意見とは違っていたとしても。

 

さて、そうして移った先輩の事業部。

率いていくリーダーとしてのポジションではなく、その一個下。ナンバー2というポジション。

見える景色が違った。変わっていく自分もいた。

リーダーとそのほかのメンバーは違う、とよく言われる。

そうだなと自分を持って感じている。

事業に全責任を持たないといけないリーダーと、甘えることのできるその他のメンバー。

自分の中で少し、いや少しじゃない。甘えが出ていた。

仕事を先延ばしにし、中途半端になっていった諸所のこと。

リーダーだったら、いや純粋に事業を思う自分のポジションであれば見なければいけない数字に目がいっていない自分。

ボロボロと崩れていくスピード・完成度。一般レベル以下になっていったように思う。

反省が多く残る年だった。

だからこそどうしていくか?

今年は、自分にしかできない仕事に目を向け、そこに対してコミットするからには、完成度とスピードを追い求める年にする。

タイムリミットがある。向き合うべき事柄が多々ある。1年度振り返った時にやりきった!と、これ以上ない!と言える年にしようと思う。

 

一方、得たものがある。とてつもなく大きなものだ。

それは「人が自分と同じではない」と理解すること、「メンバーがどうしたら力一杯やりがいを持って働けるか?」そして、「仕事に対する姿勢」だ。

メンバーを時にはしかり・時には褒める。ただただ厳しいだけではダメだ。

恐れずに、恥ずかしがらずに素直でいく。

そして、仕組み化すること。責任の所在を明確にし、そしてまた仕事を任せる時は明確に分割して渡してくこと。何を彼・彼女に期待しているのか?その人の素敵な将来を語っていきたい。

最後に自分自身が仕事を好きでい続けるということ。明確な楽観主義。

今やっている仕事を愛そうとすること、ネガティブな感情ではなくて、楽しもうとする心。

そうすると自然と、なぜかわからないんだけどさっきまで止まっていた思考が・仕事がすすでいく。大切な心の持ちよう。

そして常に前向きでい続けること。多くのことにチャレンジする今の立ち上げ期だからこそ多くの困難にぶつかる。

けどそれを乗り越えていこう。妥協したらつまらなくなっていく。

僕らが成し遂げたいことが遠ざかっていく。

 

松村さんが自分の病いに対し、事業に対するように、そしてニュースキャスターの黒木さんが力のかぎり生きていたように、

僕も素敵な自分になるために、静かにしかし高らかに熱狂していきたい。

これが僕の2016年、熱狂宣言。

やりきったと言える年にしよう。

ちっぽけな自分に出来ること

第3クオーターを終えて、振り返る時が来ている。

 

夢・志。

 

自分がこれまで書いてきたのを見ると、

「確かにそうなんだけど、少なくとも今はちょっと何かが違う」気がしている。

 

いろいろなことに自ら振り回されにいきながらも、

忙しい日々の中でその都度、課題がどんどん見えてきた。

 

「行動し」えなければ見えてこなかったこと。

だからこそ、改めて自分自身に問わなければいけないことが山積みになっている気がする。

 

今、僕は、どういう時期に向き合っているのだろうか?