2017年を振り返ってと2018年。

毎年この季節が来ると振り返りと目標を書き続けてきた。

「心がなくなる」と書いて「忙」

その字の通りに、昨年一年は右往左往をし、新たなチャレンジに自信をなくし、日々を生きるので精一杯だった。

その中で改めて出て来た今年の目標、それが「その瞬間を全力で、楽しみ切って生き抜く」ということ。

 

2017年。

振り返れば、昨年の今頃は福袋を一生懸命に売っていた。決して良い終わりではなかった。そう、俺は負けている。自分に力が足りなくて、なんの力が足りないのかもいまよりもっとわかんなかった。

そこから数ヶ月、オフィスを移して、新規事業に取り組み始めた。

2017年。6月に渡航し、7月8月9月10月11月、そして12月ともどかしい日々を過ごしてきた。

うまく事が運ばない事・自分の実力云々かんぬんに、後ろめたさを感じ、その日々の中で何かを感じなくなってきていた。焦りだけが先行し、今に集中できずに。休みが休みでは無いし、動いてはいるんだけど自信も何もなかった。怒られたく無い・否定されてたくない・間違いたく無い。

その中で、これもダメでは、あれもダメでは、もっとダメらしく質素に生きているべきでは等々。

もがきなんとか前を向きたい中で、しかし思考がネガティブに。

 

これを変えたい。

なぜ上のようになってしまうか?

自信はどこから生まれて来るのか?

一つの回答がやりきったという根拠なき自信、そしてもう一つが全体のスケジュールの中で冷静に今を捉え続ける事。

今を全力で、楽しみながら生き切りたい。

 

そのためにできる事。

”全体感の中でのいまとその準備。”→目標とその実行。

自己改革のスピード→週に一回の振り返り。”自分のかけられる時間のことへの意識”

→自己改革を1週間ごとに。

”メンバー一人一人への寄り添い方。機嫌取りではなくて。”→率直な愛のあるコミュニケーション。

「全ては、結果を残すということ」へ。

봄봄봄

先週、来年四月に入ってくる内定者の情報・昨年までの採用過程で内定を途中で辞退した人たちの例を知る機会があった。

一人一人、純粋でまっすぐな想いを胸に抱えて、自分たちの住む社会に対して何かポジティブなインパクトを残そうと力強く生きようとしている姿を感じた。

社会がよりよくなるためには、力なき声を一人で声高に叫ぶのではなく、力を伴った声が一つまたひとりと生まれ、それが点が線になり面になることが必要だと思う。

だからこそ、僕らは彼らにとって先人であるはずだ。

そのことを考えた時、つまり、そんな彼らを導いていくことのできる人間でありたいと考えた時、自分の力の無さにまた情けなくなった。

何が足りないのだろうか?

自分のレベルがなぜ足りないのだろうか?

結論、イメージ。そこに人が来るイメージや成功への執念と哲学。

即断即決ができず、1歩先、2歩先のイメージができていない。

これをできるようになりたいし、できないとダメだと思った。

 

何のために自分は生き、働いているのか?

何のために人が集まっているのか?

 

一日一日がともすると、何の気なしにすぎダラダラとも過ぎ去っていくこともできる毎日に、しっかりと杭を打ち込む、濁流に流されない木にならないといけないと思う。

自らのできる最大限の一歩一歩で良い。諦めることなく、向き合っていきたいと思う。

感情と一歩を。

今日は友人・家族がいてくれることの有り難さを感じた。

昨日の自分は、本当にボロボロだった。無性に涙が出てきた。

特定の何かへの感情ではなく、色々なトータルに対するものだったと思う。

色々なうまくいかないこと・それに抗おうとしていたこと・大きな怪我を負ったこと・何やってんだろうと思いながらそれでもうまくいかなかったこと・それでもそばにいてくれる友人・家族のこと。

ちっぽけな自分に気づき、温かさに触れた瞬間、感情が溢れたのだろう。

そして今日、また心配してくれる人がいた。みんなを大切にしたいと思う。

焦りも募る。だからこそ着実にしっかりと一歩一歩を踏み出して行きたい。

現在に集中。

友・仲間・家族、みんなの支えを

良いことを書こうとしているわけではない。

他者の、周りにいてくれる全ての人の存在は当たり前ではないということを改めて痛感した。頭でわかっただけでなく、心で感じた。

だからこそ、感謝を常に持ちたい。相手がいてくれること、してくれること・発してくれている言葉、自分に協力してくれることは当たり前ではない。それ自体が有難いことだ。

そしてそれにも増して、変な気遣いではなく相手を家族として尊重していくことをしたい。動機善なりか。もっと素直に、もっと相手を知りたい興味を持って。

 

自己否定に次ぐ自己否定を繰り返しながら、自己改革をしていく。その速度を早くする。圧倒的に今を生きていたい。それは楽しみながらということ。心ここにあらずではなくて現在をともに楽しもう。そのために一瞬一瞬を全力で。

 

そして多くの人のパワーを巻き込める力をつけたい。良いことがしたい・やりがいを求める人たちの力の結集を。

一歩先でも二歩先でも進む意欲を。

9月2日

えもしれぬ不安を感じている。

全てが中途半端な感じがして、やっていることが誰からも褒められない。全てがうまく行ってない気がする。

事業・友人の結婚式。

全てが中途半端で、後ろ指を指されている気がする。その時その時の決断を全力でやりたいと思っているのに、それが出来てない感じがする。

今やっている勉強も先が見えない、本当にこれが意味があるのかどうか。今すべきことなのだろうか、と。ただの自己満ではないのだろうかと。すがるところがなくて不安を感じている。

知っている。

この霧の中でできることは、それでも一歩一歩をしっかりと、現実から目を背けずに歩いていくしかないのだと。

 

支えとなる言葉を。

悶々と感じたことがあった。

 

結局自分は、いろいろな壁に阻まれ微力であると。

 

今の相手との関係を変えたい。

頼りっぱなしというか、相手が動かなければ動けない自分になってしまっている。

と、そう悶々としていた。

 

劣等感なのか、なんなのか。

悶々とした感情が渦巻いていた。

ただしその中で、上のことは相手との力関係性を考える上では、冷静に見て行きたい。

今後、自分ある程度主体的に動けるようにしていかないと結局は何も動かせないことになってしまうから。

 

 

ただし、そんな想いを抱えた中で読んだ内定者のブログ。

改めてなんだかそんなちっぽけなことはどうでもいいと思わされてしまった自分がいた。

 

”私利勿かりしか”

 

まだまだ結局自分はここにとらわえてしまっていた気がする。

もっと大きく見たい。

成し遂げたいことがある。

成し遂げなければならないことがある。

 

もちろん自分には”圧倒的な努力”が必要。

みんなよりも結構頑張ってるね、とかではなく圧倒的な努力が。

 

しかし一方で、自分が自分がと囚われすぎず、エゴにもならず、

みんなに手助けしてもらいながら、大きく前へ進み出したい。

 

私利勿かりしか・動機善かつ大なりか。

自分というものに囚われずに、大きく動かす。

 

 

 

以上。

大きなことをしたい。

先日に引き続き、改めて大きなことしたい、物事を大きく変えていけたらと考えている。

 

そのためには

「私利私欲がなく、真っさらな心で臨まないといけないのではないか。

成し遂げられないのではないか。」と思い始めた。

 

日々、私利私欲・自らの損得勘定に心を引っ張られてしまうことがある。

なんだかそれに引っ張られてしまってはできないように感じている。

ちまちまとしか動いていかない気がする。

 

いい意味で一つに集中するために、自分の神経・全エネルギーを一点に集中するためには、無駄なものごとに足を取られていてはいけない気がする、引っ張られてはいけない気がする。

 

そのためには、無心で、私利なかりしか?の心で、広く・大きく物事を見ていきたい。

青く広い空・大海に比べれば、自分の悩み・エゴは取るに足らないちっぽけなものであることをいつも覚えておきたい。

そしてその上で、物事を本当の意味で推し進めていくためには、そう言うものに囚われない心・動かされない、真っさらな心が必要なのかもしれないと感じ始めた。

 

本当の意味での、私利勿かりしか?は、

感情を持つな、と言うことでなくて、自らの小さなエゴ・損得勘定にとらわれるな、という、まだうまくは言えないけれど、そういう生き方のような気がする。

 

美しいものを美しいと思う心、

悲しいものを悲しいと思える心

素直にものごとを捉える心ではあるのだけれど、

それすらもどこかまずそこだけにとどまるものであって、それ自体に自分の心を引っ張られたり、えぐられたり、どす黒い感情に囚われることなく、距離を少しおいて対象をみる目線で見ていきたい。

それはそれとして、囚われることなく、ただ愚直に、愚直に、やるべきことをしていく。人間として正しい生き方をしていきたい。