野生動物のドキュメンタリー

自分はなぜ今を生きているのだろうか?

大学時代の知り合いや仲間・同世代の人たちが世界で活躍している姿を見ると、羨ましく、自分も何かしたい!と思ってしまう。

ないものねだりということではなくて、ただ何か自分も頑張っていたい、ワクワクしていたいと感じる。

何を頑張るのだろうか?

そもそも自分の一生とはなんだんだろうか?どうしたらそのワクワク感を感じれるのだろうか?そんなことを改めて考えている。

 

どうしたら、自分は満足なのだろうか?

ワクワクを身の回りに置きたい。楽しいことを身の回りに置きたい。生きててよかったと感じられる瞬間を味わいたい。

美しい景色・涙が出るような体験を一人ではなくて、仲間たちと味わっていたい。

どうしたらそのワクワクを味わっていけるのだろうか。

ネガティブなことなどは必要ない。人生を前向きに味わっていたい。

ということは、少なくとも「しなければいけない」とか「いやいややっている」とかそういうのは排除しないといけない。

自分がしたくて、ワクワクしていることをしていたい。

一日一日を、どこにいるときも、世界の風を感じて、何を味わい、生きてたい。

「生きるということ」

 

ふと先日、かっこいいなと思う方を知った。

死を ーネガティブな意味ではなくてーいつも意識して生きているという。

 

明日は来ないかもしれない。この人にはもう会えないかもしれない。

そう思っているから

今起こっていること、今手にしているものを全力愛せるのかもしれません。と言っていた。

 

僕も「生きる覚悟」を持って生きていたい。

そして、前向きに、楽しみとワクワクを常に持って生きていたい。

Carpe Diem

8月26日午後1時5分。

同僚の最終日。彼女との旅行。そしていま。

色々なことがあった2週間。

ブログを書こうとは思ったものの言葉にしては、しっくりこなくて消していた。

彼女が帰ってからこの休み。

不安、嫉妬というか後ろめたい感情。仕事への不安と後ろ倒し。癒えない疲労。

すごく疲れていて、起きてはやらなければ行けないことになかなか向き合えずテレビを見て過ごす日々。

今まで仕事一筋できていたところに、大切なものができて、また彼女との未来に向けての準備や諸々わからないことも多くて、精神的な弱さが出ていた。

”ワクワクできてない”

先行きの不安さ、後輩たちの先に進んでいる感じ。相談等もできてないこと。そういうことに捉われた。

明日からまた仕事が始まる。

泣いても笑っても始まる。

信条としていつもあるのは、”どうせやるんだったらベストを尽くす””楽しくありたい”ということ。

言い訳ばかりせずに、現実や不安から逃げずに、今を一生懸命に真剣に生きよう。

主体的に、自分で時間も、自分の人生も考えてコントロールしていこう。

”カルぺ・ディエム(carpe diem)”

その日を摘め、今を楽しめ。その一瞬を全力で生きる。

人生は、時間は平等で有限。後悔しない人生を、人生を謳歌するために、何度でもこのカルペディエムを思い出しトライしようと思う。

 

人に流されないこと。

自分をもつこと。

理想を描き、それを共有し、それに向けて必死で頑張ること。

 

残り三ヶ月しかないのなら、その三ヶ月を真剣に、脇目も振らず頑張ろう。

 

決意表明。

物事には、いつか終わりがくる。

長く関わった最後のお店がクローズした。

 

店頭に立ち、お客さんと会話した風景。

仲間たちと切磋琢磨しあった日々。

東京に行けば、必ずと行っていいほど寄った。

どうやったらお客さんにもっと知ってもらえるか、いい商品をみんなで作り、送り、最高の接客で迎える。

そんな目標に向けて動いていた。

そんな職場から離れて早1年が過ぎた。

そして、閉店したことが知った。

もう、あの場所に、あのお店はない。

笑顔で買い物をしてくれたお客さんとの日々も、もう。

 

終わりがくるというのはこういうことなんだと改めて知る。

切なく、心に何か穴があく感じ。

お祭りが終わった後の、なんとも言えないような感覚と少し似ているのだろうか。

 

物事には、いつか終わりがくる。

終わりが来ないようにと心のどこかで無意識に願い、思い、期待している自分がいる。

 

この日々を続けたいのなら、続きを見ていたいのなら、

いつか来る終わりを少しでも先延ばしできるように、後悔なく取り組んでいくしかない。

もう少し、後少し、もっと見ていたいと思える日々のため。

2017年を振り返ってと2018年。

毎年この季節が来ると振り返りと目標を書き続けてきた。

「心がなくなる」と書いて「忙」

その字の通りに、昨年一年は右往左往をし、新たなチャレンジに自信をなくし、日々を生きるので精一杯だった。

その中で改めて出て来た今年の目標、それが「その瞬間を全力で、楽しみ切って生き抜く」ということ。

 

2017年。

振り返れば、昨年の今頃は福袋を一生懸命に売っていた。決して良い終わりではなかった。そう、俺は負けている。自分に力が足りなくて、なんの力が足りないのかもいまよりもっとわかんなかった。

そこから数ヶ月、オフィスを移して、新規事業に取り組み始めた。

2017年。6月に渡航し、7月8月9月10月11月、そして12月ともどかしい日々を過ごしてきた。

うまく事が運ばない事・自分の実力云々かんぬんに、後ろめたさを感じ、その日々の中で何かを感じなくなってきていた。焦りだけが先行し、今に集中できずに。休みが休みでは無いし、動いてはいるんだけど自信も何もなかった。怒られたく無い・否定されてたくない・間違いたく無い。

その中で、これもダメでは、あれもダメでは、もっとダメらしく質素に生きているべきでは等々。

もがきなんとか前を向きたい中で、しかし思考がネガティブに。

 

これを変えたい。

なぜ上のようになってしまうか?

自信はどこから生まれて来るのか?

一つの回答がやりきったという根拠なき自信、そしてもう一つが全体のスケジュールの中で冷静に今を捉え続ける事。

今を全力で、楽しみながら生き切りたい。

 

そのためにできる事。

”全体感の中でのいまとその準備。”→目標とその実行。

自己改革のスピード→週に一回の振り返り。”自分のかけられる時間のことへの意識”

→自己改革を1週間ごとに。

”メンバー一人一人への寄り添い方。機嫌取りではなくて。”→率直な愛のあるコミュニケーション。

「全ては、結果を残すということ」へ。

봄봄봄

先週、来年四月に入ってくる内定者の情報・昨年までの採用過程で内定を途中で辞退した人たちの例を知る機会があった。

一人一人、純粋でまっすぐな想いを胸に抱えて、自分たちの住む社会に対して何かポジティブなインパクトを残そうと力強く生きようとしている姿を感じた。

社会がよりよくなるためには、力なき声を一人で声高に叫ぶのではなく、力を伴った声が一つまたひとりと生まれ、それが点が線になり面になることが必要だと思う。

だからこそ、僕らは彼らにとって先人であるはずだ。

そのことを考えた時、つまり、そんな彼らを導いていくことのできる人間でありたいと考えた時、自分の力の無さにまた情けなくなった。

何が足りないのだろうか?

自分のレベルがなぜ足りないのだろうか?

結論、イメージ。そこに人が来るイメージや成功への執念と哲学。

即断即決ができず、1歩先、2歩先のイメージができていない。

これをできるようになりたいし、できないとダメだと思った。

 

何のために自分は生き、働いているのか?

何のために人が集まっているのか?

 

一日一日がともすると、何の気なしにすぎダラダラとも過ぎ去っていくこともできる毎日に、しっかりと杭を打ち込む、濁流に流されない木にならないといけないと思う。

自らのできる最大限の一歩一歩で良い。諦めることなく、向き合っていきたいと思う。